マイクロクレジットは本当に貧しい人々を助けるのか?

グラミン銀行とムハマド・ユヌス氏のノーベル平和賞受賞をきかっけに世界の注目を集めることとなったマイクロファイナンス。

多くの称賛と期待の一方で、その効果に懐疑的な意見もあります。

「マイクロアントレプレナーを生み出し、人々が貧困から抜け出すことがマイクロファイナンスの意義だ」

「融資が消費に使われていては意味がない」

一般的にはこのような意見がよく聞かれますが、

1日2ドル以下で暮らすとはどういうことか?

誰にとっての効果なのか?

マイクロファイナンスの本当の効果とは?

貧困家計の実情を明らかにした『Portfolios of the Poor』を参照しつつ、貧しい人々にとってマイクロファイナンスとは実際にどのような意味をもつのか理解するのに役立つ記事だと思います。

私自身、この記事を読んで、マイクロファイナンスの効果だけでなく、自分の立ち位置、目線の置き方を改めて問われたように感じました。

以下、マイクロファイナンスの代表的な研究機関CGAPによる記事

「Does Microcredit Really Help Poor People?」の翻訳です。

http://www.cgap.org/gm/document-1.9.41443/FN59.pdf

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25年前マイクロクレジットが世間の注目を集めて以来、マイクロクレジットは、マイクロエンタープライズを立ち上げ所得を向上させることによって、貧しい人々、特に女性を貧困から救うための方法とされている。このマイクロクレジット像は、わずかなローンからビジネスを拡大させ、所得や消費だけでなく保健や教育、社会的エンパワーメントを獲得した何百ものマイクロアントレプレナーのすばらしいストーリーに支えられている。しかし、これらの個々の逸話はどの程度、マイクロクレジットや他のマイクロファイナンス・サービスを受けた何百万人もの人々の一般的な経験を表しているのだろうか?マイクロクレジット、あるいはより一般に、マイクロファイナンスは称賛されすぎていないだろうか?

懐疑的な意見

残念なことに、マイクロクレジットの科学的なインパクト調査は驚くほどに難しい。もし融資を受けた人々が融資を受けていない人々より暮らしがよかったら、これは融資が生活向上をもたらしたということを意味するのだろうか?おそらく違うだろう。他にもいくつかの妥当な説明がある。例えば、ローンを申請し融資を受けた人々はやる気やモチベーションがあり、融資があろうとなかろうと、おそらく他の人々よりうまくやるだろう。

多くの研究が少額融資を受けた人々の経験を対象としている。難しいのは、比較のためのコントロールグループを特定することである。それまで融資を受けなかったということ以外で、あらゆる適切な方法で融資を受けたような人々のグループを見つけることは難しく、費用もかかる。最近まで、この困難な問題に真剣に取り組んだわずかな研究のうちのほとんどが、マイクロクレジットは重要な経済的、社会的利益を生み出したということを明らかにした。しかし、これらの研究の有効性に関する議論は常にある。最も広く引用されている近年の研究では、その方法論と結論に重大な疑念を投げかけた(Roodman and Morduch 2009)。これらの疑念はおそらくこれまでの他の研究にも当てはまるだろう。

ここ3年で幾人かのリサーチャーはマイクロファイナンスのインパクトを調べるためにランダム・コントロール・トライアル(RCTs)という手法を使い始めた。十分に大きな研究対象のグループを選び、ランダムに分けられたとき2つのサブグループは統計的に同一と推定される。第1サブグループは融資を受け、第2サブグループは融資を受けない。もし一つのサブグループが他のグループより良い結果を生み出したら、リサーチャーはそれが融資によるものだと確かめることができる。なぜなら、融資が唯一のグループ間の事前の違いだからだ。

これまでのところ、マイクロファイナンスのランダム・コントロール・トライアル研究は短期間の結果のみを突き止めることができている。通常の短期間(12-18か月)のマイクロクレジット顧客を対象にした2つの研究によると、他のいくつかの利益はありそうなものの、家計の所得や消費が向上したという証拠は見つからなかった(Banerjee, Duflo, Glennerster, and Kinnan 2009, and Karlan and Zinman 2009)。おもしろいことに、これまでのマイクロファイナンスのランダム・コントロール・トライアル研究で唯一、短期間の福祉の向上がみられたのは、マイクロクレジットではなく、マイクロセービング(少額貯蓄)であった(Dupas and Robinson 2009)。南アフリカのランダム・コントロール・トライアルでは、少額の高利子消費者ローンによる所得の向上がみられたが、そのようなローンは通常マイクロファイナンスとみなされていない(Karlan and Zinman 2008)。一般的な結論を導き出す前に、特に長期間のものを含む、これらのより多くの研究が必要になるだろう。現時点では、マイクロクレジットや他のマイクロファイナンスが多くの貧しい人々を貧困から脱出させるのに役立つかどうかは正直なところまだはっきりとわからないようだ。

しかし私たちは適切にインパクトを評価しているか?

もしマイクロファイナンスの重要性の唯一の主張が、マイクロエンタープライズの設立による貧しい人々の所得と消費の向上だとしたら、おそらくそれはドナーや政府、社会的投資家が、その主張が正しいとする証拠が見つかるまで、マイクロファイナンス支援を行わないとするのに最も都合がよいことだ。しかし、その結論に到達する前に、我々は一歩戻って貧しい人々は実際にどのようにクレジットや貯蓄などの金融サービスを利用し、なぜ価値を見出しているか広い視野で見てみる必要がある。すばらしい新書『Portfolios of the Poor: How the World’s Poor Live on $2 a Day』(Collins, Morduch, Rutherford, and Ruthven 2009)』はインド、バングラデシュ、南アフリカにおける農村と都市の何百もの家計からひと月に2度集められた年間の金融日誌の結果を示している。これらの日誌により、金融手段は貧困家計にとって重要な生存ツールであることが明らかになった。確かに、これらのツールは裕福な人々よりも貧しい人々にとってより重要であろう。この本は核心的な報告から始まる。“一日2ドルで暮らすことの最も言及されない問題の一つは、日々文字通りの額を手に入れられないということだ(p.2”。つまり、経済的貧困は単に低所得ということだけではなく、不規則で不確かな収入だということだ。毎日食卓に食べ物を並べ、他の基本的な消費ニーズをみたすために、貧しい家計はたえずお金を貯め、借りなければならない。“日誌を通じて私たちが知るようになったすべての家計にとって、一日2ドル以下で生活するためにはキャッシュフロー・マネジメントの絶え間ない配慮が求められる (p.17) ”。金融サービスが人々を貧困から救おうとそうでなかろうと、それらは人々が貧困の中で何とかやっていくのを助ける極めて重要なツールなのである。貧困層はクレジットや貯蓄を、消費をスムーズにするだけでなく、健康問題などの緊急事態に対処したり、好機をつかむ(時折ビジネス機会を含む)ため、あるいは教育や結婚、葬式など高額の支出を払うのに必要なまとまった額を集めるために使う。

日誌の家計にとって、金融手段(主にローンと貯蓄)のキャッシュフローは年間所得の75から500%の範囲に及ぶ。家計が貧しいほど、その割合は高くなる傾向にある。よく考えてみると、これは驚くべきことではない。家計が生存のへりに近いほど、基本的な消費を安定させ、必要な時に大きな額を用意するために家計は何とか這うように進まなければならなくなる。一年を通じて平均的な日誌の家計は8から10の異なるタイプの金融手段を使い、ほとんどのタイプは複数回使われていた(マイクロクレジットはそれまで金融へのアクセスがなかった人々にローンをもたらすという考えは広く浸透しているが、これは間違っている、なぜなら少額ローンの大多数はビジネス機会に使われていると考えられているからだ)。

もし貧しい人々がそのように多くの利用可能な金融ツールをすでに持っているのなら、フォーマルなマイクロファイナンスは必要ないだろうか?インフォーマルな手段(例えばインフォーマルな貯蓄・融資クラブや、家族、友人、地域の金貸しからのローン、)はたいていフォーマルなプロバーダーからのマイクロファイナンスより柔軟なので、貧困層はマイクロファイナンスへのアクセスを手に入れても、これらのインフォーマルなツールを使い続ける。しかし、インフォーマルな手段には厳しい短所があり、その最たるものは不確実性である。貧しい人々がローンを必要とする、あるいは誰かに預金したお金を“引き出そう”とするとき、その誰かは手元にお金をもっていないかもしれないし、他の理由からお金を出したがらないかもしれない。

それとは対照的に、日誌の世帯はフォーマルなマイクロファイナンスはかなり信頼できるツールだと考えていた。彼らの金融手段の主な利用は、所得と生活の不確実性に対処するためであることを考えたとき、この信頼性の重要さは明らかである。『Portfolios』の著者は以下のように結論付けている。

“マイクロファイナンスのムーブメントがマイクロエンタープライズのためのローンを強調することが正しかろうとそうでなかろうと、また貯蓄や他のサービスを採用したのが遅すぎようとそうでなかろうと、その最も大きな貢献は、私たちにとって、議論の余地がない。それは貧しい家計の金融生活に確実性をもたらすプロセスにおいて大きな一歩を表した。

これらの発展の重要性を誇張するのは難しく、このことは、私たちがバングラデシュの日誌の書き手(彼らは他の研究地域の家計よりマイクロファイナンスへのアクセスをもつ)の目を通じてマイクロファイナンスを見るとき、明らかなことだ。どのようにマイクロファイナンスが使われているかとは関係なく、ほとんど全ての他の金融パートナーと比べて、マイクロファイナンスの貸し手は信頼できるということを借り手はありがたく思っている。これはつまり、ローンオフィサーは週のミーティングにどのような天気であろうと時間通りに来て、彼らが約束した額のローンを支払い、賄賂を要求せず、預金通帳を正確かつ常に更新された状態にしようとし、取引を真剣に行っているということを顧客に示した。

この見返りとして、これらバングラデシュのマイクロファイナンスの顧客はマイクロクレジットローンの返済を他の貸し手への返済よりもたいてい優先させるということに私たちは気づいた(p.26-27)。”

貧しい家計にとって、マイクロファイナンスは脆弱性に対処するためにとても役立つので、たとえその性質が、「少額融資の投資によってマイクロエンタープライズのオーナーを貧困から脱出させる」というよく知られたマイクロファイナンスのストーリーラインと実質的には異なるとしても、彼らはマイクロファイナンスに価値を見出しているということを『Portfolios』は示している。しかし、『Portfolios』もただの一連の逸話にすぎないのであろうか?それとも世界中の非常に多くのマイクロファイナンスの顧客についての一般的な真実を描いたものなのだろうか?

マイクロファイナンスは人々の生活を向上させるのだろうか?貧困層はイエスと言う

世界中の顧客は『Portfolios』が描いたように金融サービスを対処ツールとして評価しているということを示す強力な理由がいくつかある。この証拠は主に、マイクロファイナンスがどれほど重要かを、彼らの参加というかたちで示した何百万もの顧客の行動に由来する。

1、30年にわたる経験によると、マイクロファイナンスがそれまで利用できなかった顧客にとって利用可能になるとき、ほとんど広告は必要ない。口コミによって広まり、顧客はぞろぞろと訪れる。

2、人々は融資を受け取るだけでなく、高い信頼性をもって返済する。なぜ彼らは担保もないのにそのようにするのか?最も強力な返済のインセンティブはたいてい、グル―ププレッシャーではない。むしろ、契約を果たす限り将来も利用可能な価値のあるサービスへのアクセスを持ち続けていたいという借り手の希望である。MIX Marketは、何百ものマイクロファイナンス機関の10年の時系列データを提供している。全ての期間の間、年間貸倒率は一般的に平均してポートフォリオの2.5%かそれ以下である。これは非常に高い返済率を示している。例えば、この融資貸倒率を達成するためには、毎週返済の6か月融資を行うマイクロファイナンス機関は、1ドル毎のうち約99.3セントを回収しなければならない。1990年代後半のインドネシアの金融経済危機の間、ローン返済率はほとんど全てのところで急落した。ただし、返済率が高く維持されたマイクロクレジットローンを除いて。特に厳しい時期に、低所得の借り手は、訪れるかもしれない危機に対処するために必要なマイクロクレジットや他の金融サービスへのアクセスを守ろうと特に必死になる。

3、顧客はマイクロファイナンス・サービスがとても価値のあるものだと思うので、彼らはたいていローンの高い利子率を喜んで払い、貯蓄へのわずかなあるいは無利子を受け入れる。

4、顧客はマイクロファイナンス・サービスに何度も戻ってくる。高い貸倒率をもつ機関でも彼らの商売のほとんどはリピート顧客からである。

5、もちろん、繰り返し利用されることそれ自体が利用者に利益をもたらしていることの証明にはならない。例えば、ヘロインを繰り返し使用することについて、この議論に異を唱える者はいないだろう。人々は常に賢く借りるというわけではない。少額融資や他のローンによって、超過負債になったり結果的にますます悪い状態になったりする借り手もいるだろう。そのような人の数が相対的に小さい限り、融資によって助けられる大多数の人々にローンを拒むより、超過負債があった方がましである。しかし、多くのリピート客が負債の罠に陥り、他のローンを借りることによってのみ返済できるということにならないだろうか?おそらくならないだろう。多くの顧客が自分たちで扱えるよりも多くの負債を抱えていたら、彼らの多くはいつかは債務不履行になり、貸し手の回収率は急落するだろう。それとは対照的に、MIX Marketのデータによると、借り手の大多数を占めるマイクロファイナンス機関のうち、ほとんどは長期間にわたって非常に高い回収率を維持している。これは決定的な議論の帰結ではないが、この長期にわたる高い返済率の一般的なパターンは、マイクロファイナンスの顧客の大部分は超過債務ではないという推論を正当化する。同時に、この推論は更なる研究によって調べる必要がある。

ゴールポストは動いている?

結局マイクロファイナンスは、支持者が主張するように、人々を貧困から救うということにはならないないとわかっても、その他の恩恵は考慮するに値するだろうか?マイクロファイナンスが貧困層の所得を向上させるという証拠が明らかでないということや、多くの顧客は少額ローンや貯蓄を、ビジネスよりもむしろ消費のために使うということを聞くと、我々は落胆し、消費は一時しのぎにすぎないとみなす傾向にある。“もしそうだとして、なぜ悪い?”私たちは問いたい。

しかし、私たち自身の最低限の消費レベルはほとんど脅かされることがないので、我々はこのように思ってしまう。金融日誌や何百万もの世界中のマイクロファイナンスの顧客の行動にみられるように、貧しい人々は彼らの状況の中で何とかやっていくのを支えるのにこの“一時しのぎ”非常に重要だと考える。

現在私たちが知っていることに基づくと、一年の少額融資は(例えば)一年の女児の教育と同じくらい貧しい人々に役立ちそうにはない。本当のマイクロファイナンスの利点はそれぞれが“すること”がより強力なのではなく、むしろそれぞれがすることが助成金の費用がかなり少なくて済むということである。初等教育や医療保健のような社会的プログラムはたいてい多額の助成金を不断に必要とし、毎年乏しい税金を使い果たすことになる。マイクロファイナンスは違う。正しく行われれば、比較的少額の先払いの助成金によって、それ以上の助成金なしで、サービスを毎年提供し続けることができ、それらのサービスを何百万もの低所得顧客にリーチさせるために拡大できる、永続的な機関をつくることができる。

例えば、ボリビアのBancoSolは1990年代半ばの200~300万ドルのドナー助成金が、2008年末には200万ドル以上の融資ポートフォリオと、30万以上の貯蓄者・借入者のためのサービスとなり、ほとんどすべてが商業ベースによるものになった。これは単独の例外ではない。MIX Marketに報告したマイクロファイナンスの供給者のうち、利益をあげ追加助成金を必要としないものはすでにすべての顧客の71%を占め、収益を上げるに近いマイクロファイナンス機関は他の22%を占める。

結局、支持者が主張するようにマイクロファイナンスが所得を向上させるということにはならないとわかったとしても、これはかなりすばらしい価値のある提案ではないだろうか?

「Does Microcredit Really Help Poor People?」

http://www.cgap.org/gm/document-1.9.41443/FN59.pdf

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